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「第69回京都大学原爆災害総合研究調査班 遭難者の慰霊の集い」が開催されました


理事長 木村 徹

理事長 木村 徹

去る9月13日(土)、枕崎台風で犠牲となった京大原爆調査班の「第69回京都大学原爆災害総合研究調査班遭難者の慰霊の集い」が、廿日市市宮浜温 泉(旧大野町)原田広場にある慰霊碑前において執り行われ、私も京大医学部同窓会芝蘭会広島支部長として参拝してまいりました。 当日は、ご遺族、京都大学医学部長以下、医学部教授の方々・理学部関係者、芝蘭会広島支部、広島京大会、広島大学医学部長、廿日市市長・同市議会議長等の 参拝・献花があり、無事慰霊を執り行うことができました。

 

「京都大学原子爆弾災害総合研究調査班」は昭和20年8月下旬、軍の要請で被爆者調査・診療にあたるため 医学部・理学部を中心とした教官、学生、看護婦ら約50名で組織され、9月3日から大野村(現廿日市市大野町)にある大野陸軍病院に本拠を置き、診療・研 究調査を開始致しました。大野陸軍病院は病床800床、中央の病棟には約100名の被爆者の方が収容されていました。 9月17日、大型の枕崎台風が広島県を襲い、同夜10時30分頃土石流が一瞬にして大野陸軍病院の中央部を直撃、壊滅させました。土石流は山陽本線を越え て海中に押し流し、医学部研究班8名、理学部研究班3名を含む、収容治療中の被爆者の殆ど全員と病院関係者の計156名の命が奪われました。

 

土砂災害の原因は、枕崎台風自体が強大だったこと、戦禍による通信線途絶のため気象情報が少なく巨大台風の直撃が予測できず警報が発せなかったこ と、防災体制も不備だったことなどが原因と言われていますが、戦争中に航空機燃料である松根油製造の松ヤニ採取のため、裏山の松林を乱伐し根まで掘り返し た事も土石流が発生した要因の一つと言われています。直接的な原因は台風にあったとしても、亡くなられた方々は自然災害だけでなく間接的な戦争の被害者で あったと言えましょう。

高さ5mから1mまでの4枚のコンクリートで出来た三角形の壁を組み合わせた記念碑

高さ5mから1mまでの4枚のコンクリートで出来た三角形の壁を組み合わせた記念碑

遭難から25年後の昭和45年9月、京大関係者、その他多くの方々のご尽力により現場近くの広場に、「京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑」 が建立されました。「記念碑建立の由来」には、「この碑の垂直的な力強い造形は、大地から天に向けて舞い上がる人間の復活を象徴しており、京都大学関係者 を含め、犠牲者の方々の追悼と恒久平和への祈りを表している。」と刻まれています。

この広場には大きな花崗岩があちらこちらにあります。これは土石流により流されてきた落石です。くしくも今年8月、広島県は豪雨による土砂災害で多くの犠牲者、被災者を出し、甚大な被害をもたらしました。

今年の慰霊の集いでは、枕崎台風並びに広島市大規模土砂災害で犠牲になられた方々に謹んで哀悼の念を捧げ、このような悲劇を繰り返さないように防災意識を高め、これからの世代に語り継いでいかなければと心新たに致しました。